初夏の清水寺から清閑寺へ その2♪
2008年 06月 29日
6月8日
Kちゃんと清水寺裏門のゲートを抜けて、清閑寺への山路を歩きます。
Kちゃん、「この路、すきだな~♪」って仰ってくださいます。
いつも奥多摩でスミレを求めて歩いておられますから、清水寺の中よりこういう路の方がお好きな様です。
人もほとんど通りませんし、途中で「女性の一人歩きは危険です」と立て看板もありますが、途中民家もありますし、それほどの路でないと思うのですが・・・。
清水寺のゲートから山路を5分ほど歩いていくと清閑寺の石碑が見えてきます。
ここから清閑寺参道となるようですよ。
「歌の中山清閑寺」と書かれていますね。
お寺の山号の「歌の中山」は地名で清水寺から清閑寺間の山路を言います。
古来からこの路は、花鳥風月に恵まれ、多くの文人歌人に歌を詠まれていた地でもあるそうですよ。
左横の石碑には、「高倉天皇陵、 六条天皇陵参道」とも書かれていますね。
参道の細い山路を上がっていくと御陵らしきものが見えてきます。
「高倉天皇後清閑寺陵 六条天皇清閑寺陵」となっています。
御陵の前を通りすぎ、参道の階段を上がっていくと・・・・・。
清閑寺の山門が見えてきます。
清閑寺の山門となります。
ちなみに8時から開門と書かれいました。
ただいま8時5分です。
開いていて良かった♪
実は、一寸内心ヒヤヒヤだったんですよね(*^_^*)
清閑寺へは、こんなに早く来たこと無かったものですから(^^ゞ
京都の観光地のお寺はだいたい9時開門ですからね。
中へ入ろうとするとKちゃんに言われて気付きます。
門の左横に「拝観料はお心持ちを」と書かれています。
そうでした。 うっかり忘れて入るところでした。
左横に箱がありますので皆さんお心持ちをお入れ下さいね(*^_^*)
門からお庭に入ります。
調度お庭のサツキが見頃です。 良いときに来たようですね(*^_^*)
本堂も見えます。
Kちゃんは、「これは良いですね。 今回、京都に寄った甲斐がありました。」とのこと。
嬉しいことです。 Kちゃん、ありがとう♪
参道を歩きながら私のしどろもどろの説明を聞いて下さっていたKちゃんでしたので、ここで改めてお寺説明しなおします。
こちらのお寺は延暦21年(802年)創設の」真言宗智山派に属し、かっては清水寺と変わらぬほどの広大な寺域だったのですが、応仁の乱で全て焼失、今は、本堂だけが残っているだけの小さなお寺となっています。
こちらで有名なのは、「平家物語」のヒロイン小督の局(こごうのつぼね)が出家させられたお寺であることです。
高倉天皇の寵愛を受けた小督の局は、天皇の義父 平清盛の怒りを恐れ、自ら嵯峨野に身を隠しますが、局を想う天皇の使いにより探しあてられ密かに宮中へ戻ります。 この下りは、謡曲「小督」として有名です。
そして皇女を出産するのですが、清盛の知るところとなり、高倉天皇との仲を引き裂かれこの地で無理矢理出家させられます。
高倉天皇は悲嘆に暮れ21才で亡くなられ、「局のそばで葬ってくれ」との天皇の遺言により、この清閑寺に高倉天皇陵がつくられ、局は、天皇の菩提を弔いこの地で一生を終えます。
御陵そば近くに供養塔があるのですが、小督の局の墓と言い伝えられているそうです。
そしてお琴の名手だった小督の局のお琴が今もこちらのお寺に残っているそうです。
お庭の楓の下に「小督の局の供養塔」と書かれた立て札、そして奥の塔が小督の局供養塔です。
以前、こちらのお寺の方にお聞きしましたところ、御陵そばの供養塔と同じ物だとお聞きしました。
しかし、嵯峨野にも局のお墓、庵跡があり、局のお琴が嵯峨野の局ゆかりのお寺にも残されているとか、聞きます。
さてどちらが正しいのか、どちらも正しいのか、はてさて・・・?
でも、私的には、こちらに一緒に眠っておられると思う方がロマンがありますね(*^_^*)
こちらの石垣に囲まれた大石は「要石(かなめいし)」と言います。
ここに立つと京都の街が扇を開いたように眺望され、調度この石が扇の要にあたる事から「要石」と呼ばれています。
又、この石に誓いを立てると願いがかなうとも言われいるそうです。
桜の頃。
夕暮れの頃。
局もここに佇みながらこの景色を見下ろしていたのでしょうか。
高倉天皇を慕いつつ・・・・・・(*^_^*)
Kちゃんに夕暮れ時、桜の時期にも是非きてくださいとおすすめしますと、是非♪とのことでした。
本堂には、菅原道真公の御作と伝えられている十一面千手観音が安置されているそうです。
鐘楼です。
鐘楼横の階段を上がるとかって茶室があったようです。
こちらの茶室は、腐蝕はげしく、平成3年に解体されたそうですが、幕末に清水寺の住職月照(げっしょう)上人と西郷隆盛がしばしば勤皇の謀議を行った場所だそうですよ。
これはKちゃんに説明してませんでしたので、案内板で気付いて頂いていたら良いのですが。
静かな誰もいないサツキの境内を二人占めでした。
Kちゃん、すっかり気に入って頂いた様ですよ(*^_^*)
さて、そろそろ帰りましょうか。
山門をくぐり・・・
御陵を下に見ながら階段の参道を下り
高倉天皇と小督の局が仲良く眠っておられる御陵に別れを告げて・・・・
もと来た山路を二人で戻ります。
清水さんに朝着いた時は、静かだった清水の音羽の滝も・・・・。
たくさんの子供たちで賑わっています。
忠僕茶屋も店開きとなり・・・・・
境内のアジサイともお別れです。
仁王門の回りも人が多くなり、参道の土産物屋さんも店開きです。
店開きした参道のお店を覗きながら二人で参道を下り
東山通りの喫茶店でコーヒでゆっくり。
その後、バスで京都駅まで帰るKちゃんをお見送りします。
Kちゃんも私もニコニコ。
喜んで頂いて良かった(*^_^*)
そして歩いて帰る私のバックの中には、Kちゃんにいただいたホカホカピカピカの本がありました。よ
私も又ニコニコ。
ありがとう、Kちゃん(^_^)v
ちなみにKちゃんに戴いた手作り本は、
3月末にKちゃんCちゃん、Jさんとご一緒した奥多摩イワウチワの探索を
Cちゃんが素敵なレポにしてアップされたものです。
あまりに素敵に書いて下さったのでKちゃんが本にしてくださいました。
宜しければ
『奥多摩 早春の約束2008 イワウチワとハナネコノメを訪ねて』もどうぞ♪
Kちゃんと清水寺裏門のゲートを抜けて、清閑寺への山路を歩きます。
Kちゃん、「この路、すきだな~♪」って仰ってくださいます。
いつも奥多摩でスミレを求めて歩いておられますから、清水寺の中よりこういう路の方がお好きな様です。
人もほとんど通りませんし、途中で「女性の一人歩きは危険です」と立て看板もありますが、途中民家もありますし、それほどの路でないと思うのですが・・・。
清水寺のゲートから山路を5分ほど歩いていくと清閑寺の石碑が見えてきます。
ここから清閑寺参道となるようですよ。
「歌の中山清閑寺」と書かれていますね。
お寺の山号の「歌の中山」は地名で清水寺から清閑寺間の山路を言います。
古来からこの路は、花鳥風月に恵まれ、多くの文人歌人に歌を詠まれていた地でもあるそうですよ。
左横の石碑には、「高倉天皇陵、 六条天皇陵参道」とも書かれていますね。
参道の細い山路を上がっていくと御陵らしきものが見えてきます。
「高倉天皇後清閑寺陵 六条天皇清閑寺陵」となっています。
御陵の前を通りすぎ、参道の階段を上がっていくと・・・・・。
清閑寺の山門が見えてきます。
清閑寺の山門となります。
ちなみに8時から開門と書かれいました。
ただいま8時5分です。
開いていて良かった♪
実は、一寸内心ヒヤヒヤだったんですよね(*^_^*)
清閑寺へは、こんなに早く来たこと無かったものですから(^^ゞ
京都の観光地のお寺はだいたい9時開門ですからね。
中へ入ろうとするとKちゃんに言われて気付きます。
門の左横に「拝観料はお心持ちを」と書かれています。
そうでした。 うっかり忘れて入るところでした。
左横に箱がありますので皆さんお心持ちをお入れ下さいね(*^_^*)
門からお庭に入ります。
調度お庭のサツキが見頃です。 良いときに来たようですね(*^_^*)
本堂も見えます。
Kちゃんは、「これは良いですね。 今回、京都に寄った甲斐がありました。」とのこと。
嬉しいことです。 Kちゃん、ありがとう♪
参道を歩きながら私のしどろもどろの説明を聞いて下さっていたKちゃんでしたので、ここで改めてお寺説明しなおします。
こちらのお寺は延暦21年(802年)創設の」真言宗智山派に属し、かっては清水寺と変わらぬほどの広大な寺域だったのですが、応仁の乱で全て焼失、今は、本堂だけが残っているだけの小さなお寺となっています。
こちらで有名なのは、「平家物語」のヒロイン小督の局(こごうのつぼね)が出家させられたお寺であることです。
高倉天皇の寵愛を受けた小督の局は、天皇の義父 平清盛の怒りを恐れ、自ら嵯峨野に身を隠しますが、局を想う天皇の使いにより探しあてられ密かに宮中へ戻ります。 この下りは、謡曲「小督」として有名です。
そして皇女を出産するのですが、清盛の知るところとなり、高倉天皇との仲を引き裂かれこの地で無理矢理出家させられます。
高倉天皇は悲嘆に暮れ21才で亡くなられ、「局のそばで葬ってくれ」との天皇の遺言により、この清閑寺に高倉天皇陵がつくられ、局は、天皇の菩提を弔いこの地で一生を終えます。
御陵そば近くに供養塔があるのですが、小督の局の墓と言い伝えられているそうです。
そしてお琴の名手だった小督の局のお琴が今もこちらのお寺に残っているそうです。
お庭の楓の下に「小督の局の供養塔」と書かれた立て札、そして奥の塔が小督の局供養塔です。
以前、こちらのお寺の方にお聞きしましたところ、御陵そばの供養塔と同じ物だとお聞きしました。
しかし、嵯峨野にも局のお墓、庵跡があり、局のお琴が嵯峨野の局ゆかりのお寺にも残されているとか、聞きます。
さてどちらが正しいのか、どちらも正しいのか、はてさて・・・?
でも、私的には、こちらに一緒に眠っておられると思う方がロマンがありますね(*^_^*)
こちらの石垣に囲まれた大石は「要石(かなめいし)」と言います。
ここに立つと京都の街が扇を開いたように眺望され、調度この石が扇の要にあたる事から「要石」と呼ばれています。
又、この石に誓いを立てると願いがかなうとも言われいるそうです。
桜の頃。
夕暮れの頃。
局もここに佇みながらこの景色を見下ろしていたのでしょうか。
高倉天皇を慕いつつ・・・・・・(*^_^*)
Kちゃんに夕暮れ時、桜の時期にも是非きてくださいとおすすめしますと、是非♪とのことでした。
本堂には、菅原道真公の御作と伝えられている十一面千手観音が安置されているそうです。
鐘楼です。
鐘楼横の階段を上がるとかって茶室があったようです。
こちらの茶室は、腐蝕はげしく、平成3年に解体されたそうですが、幕末に清水寺の住職月照(げっしょう)上人と西郷隆盛がしばしば勤皇の謀議を行った場所だそうですよ。
これはKちゃんに説明してませんでしたので、案内板で気付いて頂いていたら良いのですが。
静かな誰もいないサツキの境内を二人占めでした。
Kちゃん、すっかり気に入って頂いた様ですよ(*^_^*)
さて、そろそろ帰りましょうか。
山門をくぐり・・・
御陵を下に見ながら階段の参道を下り
高倉天皇と小督の局が仲良く眠っておられる御陵に別れを告げて・・・・
もと来た山路を二人で戻ります。
清水さんに朝着いた時は、静かだった清水の音羽の滝も・・・・。
たくさんの子供たちで賑わっています。
忠僕茶屋も店開きとなり・・・・・
境内のアジサイともお別れです。
仁王門の回りも人が多くなり、参道の土産物屋さんも店開きです。
店開きした参道のお店を覗きながら二人で参道を下り
東山通りの喫茶店でコーヒでゆっくり。
その後、バスで京都駅まで帰るKちゃんをお見送りします。
Kちゃんも私もニコニコ。
喜んで頂いて良かった(*^_^*)
そして歩いて帰る私のバックの中には、Kちゃんにいただいたホカホカピカピカの本がありました。よ
私も又ニコニコ。
ありがとう、Kちゃん(^_^)v
ちなみにKちゃんに戴いた手作り本は、
3月末にKちゃんCちゃん、Jさんとご一緒した奥多摩イワウチワの探索を
Cちゃんが素敵なレポにしてアップされたものです。
あまりに素敵に書いて下さったのでKちゃんが本にしてくださいました。
宜しければ
『奥多摩 早春の約束2008 イワウチワとハナネコノメを訪ねて』もどうぞ♪
by ochikachan-51
| 2008-06-29 15:08
| 東山界隈